2016年8月27日土曜日

沖縄日和・首里城と外国人墓地



首里城へは当蔵の交差点から歩いて行ってみた。

通りの左右に沖縄県立芸術大学が建っている。
ここは元沖縄県師範学校だったという石碑があった。

さらに進むと左側に円覚寺跡が見えてきた。
琉球における臨済宗の総本山で山号は天徳山とある。
久高島や斎場御嶽を訪ねた後では妙に世俗的に感じた。

久慶門から入ったのだが、途中で人の流れに逆行して
いることに気づいた。どうやら出口の門だったようだ。
でもなにもいわれずちゃんと入れた。
首里城は見学が無料のところと有料のところに分かれ
ているのだが、今回は無料のところを歩いてみた。

瑞泉門の下方にある龍樋(りゅうひ)。
一番見たかったのはこの湧き水だった。
500年間涸れたことがない湧き水。
琉球国王一族の大切な飲み水だった。
石製の龍の口は交易があった中国からもたらさ
れたもので当時のままこうして残っている。

歓会門
城郭へ入る第一の正門。歓会とは歓迎の意味が
あるとのこと。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
琉球石灰石で造られた建造物。国王が外出
するときに安全祈願をした礼拝の門。
単体で世界遺産に登録されている。
門の横に咲いていたハイビスカス


守礼門
門には『守禮之邦』と書かれている。
守礼とは「礼節を守る」という意味で「邦」は
小さい国を意味する。
「琉球は礼節を重んずる国である」と掲げて交易
が盛んで深い関係にあった中国の要人を迎えていた。




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泊港の前にある外国人墓地。
門は閉まっていて中には入れなかった。
ここには、ペリー提督が1853年6月6日
那覇(琉球)に初来航したときの上陸記念碑
が建っている。日米和親条約の締結3ヶ月前
浦賀へ上陸する3ヶ月前でもある。


敷地内で最も古いのは1718年に埋葬された
清国(中国)の4人の墓。漂流中に船から落下
し琉球人に助けられたものの結局亡くなった。
白い十字架が整然と並ぶ中、大きな4つの墓石
がひときわ目立っていた。