港区にある坂の半分以上は、この麻布地区にあるそうだ。
昔この辺り一帯は、麻布○○町という地名がほとんどで
六本木というのはずっと後からできた地名になる。
六本木というのはずっと後からできた地名になる。
『行合坂』
この坂の始まるところが飯倉片町の交差点。
その交差点にあるインターナショナルクリニックの
アクショーノフ先生は、昨年8月に90歳で永眠されました。
20年以上先生と働いてきた看護師山本ルミさんの思い出*
がほぼ日で特集されました。
この一番谷底から南に通っているのが『落合坂』
赤坂方面から往来する人達がちょうど行きあったり、
落ち合ったりする場所にあったから。なんか風情があっていいなぁ。
(写真はちょうど工事中で風情がありませんけど。。。)
途中、みごとなアロエの花壇
反対側、飯倉片町から麻布十番に降りていく坂が『永坂』
麻布永坂町という町名は今も残っている。
飯倉片町を分断するように高速道路ができたのは
東京オリンピックの年(1964年)
麻布永坂町という町名は今も残っている。
飯倉片町を分断するように高速道路ができたのは
東京オリンピックの年(1964年)
更科御三家のひとつ永坂更科の案内表示。
局番に3が付いていないのでこの看板自体も古そう。
“戦争前の、、、” へぇ〜!です。
永坂を下って東麻布方面へ。
ブログを始めたころ偶然にもこちらの壁絵に出会って
感激したのを思い出す* いつみてもほっこりします。
『狸穴坂』がみえてきて最初はゆるやかに始まる坂が
だんだん急になってゆく。
界隈にはこんなステキな古民家も。
ひとしきり上って振り返った図、
高台の大きな建物は東京アメリカンクラブで
敷地もものすごく広い。
外苑東通り側の標柱。
麻布狸穴町という町名も残っていて
麻布狸穴町という町名も残っていて
近所には鼠坂(ねずみ)、鼬坂(いたち)という坂もある。
昔の麻布は今では想像もつかないほど静かでのどかな
“村” だったんだろうなぁ。
“村” だったんだろうなぁ。